文鳥の足のケガ
先日帰宅したら、ブルーの右足の後ろの指(親指?)がだらりとして力が入らない感じになっていたので病院に連れて行った。
病院で獣医先生にいろいろこねくり回されて検査してもらった結果、足の指の腱が断裂してしまっていた。留守番中にカゴの中でどこかに足を引っかけたり、変なふうに落っこちたとか、なんらかの形で事故が起きてしまったようだ。
そして断裂した腱は治せないらしい。
大きい動物だったら手術できるけど、文鳥みたいな小さい小鳥は手術するのは困難とのこと。なのでこのまま見守っていくことしかできないみたい。
本人は痛がってる様子もなく、普通に動き回っているしご飯ももりもり食べている。6歳の中高年にしてはめちゃくちゃ元気というお墨付きももらったので、止まり木に捉まるとき少しだけ不便しているようだけど、今のところそんなに心配することはなさそうなのが幸いだ。というかなんで指の腱切れてるのに歌うたいながらピョンピョン走り回ってるんだ。さすが2時間外を探検して帰ってきた文鳥だ。これまで病気もケガもほとんどしなかった体の丈夫な文鳥でよかった。
とはいえ足の腱が切れたりするのは老化の証拠でもあるらしいので、そのつもりで今後も気を配ってあげないといけないと思った。歳をとったら体のどこかに徐々に不調が出るのは仕方ない。人間も同じだ。
▲ケーキの袋に入れられて病院に運ばれるブルー
ところでこの日お世話になった病院はとても良い病院だった。横浜の子安駅にある横浜小鳥の病院という病院です。
病院行くといつも思うんだけど、獣医さんにがっちり保定されてこねくり回されてる文鳥はあわれでちょっとかわいそうなんだけどかなり面白い。途中から「もうこれは抵抗してもダメだ...」とあきらめるところとか。
コーギー用のドッグスリングを作る
プロペラ1歳6ヶ月 14kg
マンション内では犬は抱えて運ばないといけないルールがあるんだけど、エレベータは2~5階しかないという変則的な造りで、毎日散歩の時に自宅7階から地上まで、この14kgの犬を抱えて廊下を歩いたり階段の昇り降りしないといけない。これが地味に大変。
今まで市販の犬用スリングの中に押し込んで運んでいたけど、うちの犬は胴が長いのと、コーギーにしては体が大きめで、既製のスリングでは小さくてなんとなく収まりが悪く、犬の足腰などに負担がかかりそうで心配だった。そもそも一般的なドッグスリングは、小さめの中型犬までが対象のようで、売っているものも大半が小型犬用。やっぱり自分で作るしかないと思い、スリングの作り方を調べて、一万円のミシンと布を買ってきて一回り大きいスリングを作ってみた。が、サイズを大きくしても基本構造が変わってないのであんまり人・犬双方ともに良い感じにならなかった。
▲どういう風に入れても犬が窮屈そうになってしまう
で、作りかたをあれこれ考え直しているうち、人間が人間を一人で担げる担架というものをネットで発見したので、これをヒントにしたら行けるような気がしたので改めて作ってみた。
▲ネットで見つけた一人でも運べる担架
出来上がったものに犬を入れたら安定感がとても良くなった。ふつうのスリングの場合は片方の肩に斜めがけだが、この方式は両肩にかけた二つの輪っかに犬の体重が分散されるので負担が少ない。しかも背中側でクロスしているので左右に揺れたりもしない。
3m1000円の布で作ったので、しばらく使ってみて改善点があれば取り入れてちゃんとした丈夫な布で作ろうと思う。あとミシンの使い方もあんまりよくわからなくてよく見ると縫い目とかがかなり乱暴です。
山形旅行 2017.11
なんとなく東北地方が好きらしく、気づくと北上していることが多い。今回も久しぶりにどこか遠出したくなったので、ぼんやり日本地図を眺めているうちに山形(と宮城少し)へ行くことになった。
見晴らしの良い景色と、凝灰岩の特異な山肌に彫られた岩塔婆、無数の後生車など、不思議なものがたくさんあって、頂上まで1000段以上ある石段も苦にならなかった。山の中には昭和の観光ブームの時に作られたという巨大滑り台の遺構もあるらしい。
なんだかずいぶん贅沢な場所に泊まってしまった。温泉街の奥の山には江戸時代の銀鉱山の廃坑があって探検できた。
放し飼いのキツネがたくさん。キツネがこんなにふわふわしてるとは知らなかった。
郷土玩具が好きなんだけど、山形には山形張子という郷土玩具がある。その張子を今も作っているのが山形駅の商店街にある岩城人形店さん。「まり猫」というのが欲しかったので帰る前に行った。
現在は主に洋品店みたいな感じで営業されているようで、張子は入口のすぐそばの棚に少しだけ並べられているだけだった。お店の人によると、私のように山形張子を求めてやって来る人は時々いるみたいだった。なんとなく工房のようなものを想像していたので、実際の雰囲気に妙なリアリズムを感じた。
上の写真は自宅で撮ったもの。鞠に猫が張り付いた「まり猫」(左)と、平成11年の年賀切手にもなった「玉乗り兎」(中央)を購入した。おまけで「通信こけし」(右)なるものをいただいた。中空になっているこけしの胴体に手紙を入れて、旅先から出すのである。どれも素朴でかわいらしい。
まり猫の裏側。
今回で山形は3回目だけど、酒田方面にはまだ行ったことがないので次は山形の日本海を見たい。
パイナップルの葉っぱを植えたらパイナップルがなったので食べた
パイナップルの先端の葉っぱの部分を植えるとそこからまたパイナップルが生えてくるというのを聞いてチャレンジしてみた。
▼2015年5月 食べ終わったパイナップルの葉っぱを植える。
▼2015年8月 新しい葉っぱが次々と出てくる。
▼2016年5月 一年後。大きくなった。
▼2017年7月 さらに一年後。小さな花が咲いたあと(写真は撮るのを忘れてしまった)、果肉らしいものができた。
▼2017年10月 てっきり果肉の部分がもりもり大きくなると思っていたら、上の葉っぱの部分だけがどんどん立派になった。
よく見ると付け根から脇芽のようなものが出てきている。どうも思ったように成長してくれない。バランスが崩れ根元がグラグラして倒れそう。もうすぐ11月でこれ以上は大きくならないだろうと判断し、収穫することにした。あと、寒さに弱く冬になると部屋の中に取り込まないといけないが、もう大きすぎて無理だしこんなの部屋に置きたくない。
▼切りとるとこんな感じである。なんとアンバランスなパイナップルか。柿よりも一回り小さい。
▼葉っぱは非常に硬く鋭く、これは凶器になりそう。気をつけて扱わないと手が血だらけになってしまう。
▼切った。
見た目は全然美味しそうではない。どうせ青臭い味とかで食べられたものじゃないだろうな。と思ってかじってみると、なんと、ちゃんとパイナップルの味がした!普通は捨ててしまう芯の部分を食べてる感じではあるけど、正真正銘パイナップルだった。
私の住んでいる南関東ではミカンくらいの大きさにしかならなかった。もっと温暖な地域だったらちゃんと大きなパイナップルになったと思う。
余談だが、このパイナップルかじったあとしばらく舌がピリピリした。調べてみると、たんぱく質分解酵素ブロメリンなる物質が舌の粘膜を刺激するのが原因らしい。新鮮なものに多く含まれるそうだ。ちなみに酢豚にパイナップル入れる理由もこの酵素でお肉を柔らかくするためらしい。まあ入れないけど。
多摩川で化石掘り
多摩川で化石が採れる場所があるというのは、ネットで「多摩川 化石」と検索すると詳細が何件もヒットするほどには以前から知られているようで、私のやりたいことリストにずっと入っていることのひとつだった。採れるのは主に貝の化石である。
持ち物は軍手、金槌、マイナスドライバー他。小田急線の和泉多摩川駅から河川敷に出て下流へ歩いて20分くらい。草むらを抜けると、約120〜140万年前には海だった場所の地層が浅い岸に露出している。他に化石を採りにきている人はいなかったが、お手軽な場所だけあって、地層の表面には、化石を掘り出したと思われる小さな穴の跡だらけである。採りやすい場所はすでに採り尽くされた感がある。
この日は季節外れの暑さと、前日の雨の影響と思われる増水で、発掘日和とはあまり言えなかったのかもしれない。水かさが多くて目的の地層はほとんど水面下であった。ネットで見た画像では一面に地層が広がっているのだが。
化石の貝がないか目を凝らしてもよく見えなくてわからない。日陰がなくて直射日光が体にこたえる。結局、水に浸かってない狭い場所をやみくもに掘ってみた。2つほど貝の化石のようなものを掘ることができた。
完全な形ではないし、掘り出してみたものは化石が埋まっていた跡の部分のような気がしないでもないが、百数万年前の生物の痕跡であることは確か。成果はあんまりなかったが楽しかった。そもそも化石堀りって聞いただけでワクワクするし、楽しくないわけがない。もっと本格的な化石採掘にも挑戦してみたいと思った。
虫けらホテル③
秋になった。
ぼうぼうに伸びた空き地の雑草や、斜面を覆っていた葛(クズ)の勢いも衰え、ようやく一息つける感じに落ち着いてきた。
そして家のベランダに作っていた虫けらホテルも、春と夏を経てかなりモジャモジャになった。
良い住処を探す虫の気持ちになって、枯れ枝や石ころを積み上げ、植物を植えた。
でも、虫が和気あいあいと暮らしてるかどうかは今のところよくわからず、むしろ割とゴキブリ虫とかをマンション内で見かけたりしたので、ここに来ないようにコンバット(駆除剤)を裏側に置いた。つくづく人間とは勝手ないきものだ。
両脇に置いたミカンの木には、今年もひっきりなしにアゲハチョウが卵を産み付けていた。
下の写真は、かなり昔に東北のとある廃墟で見つけた部屋で、この部屋が今でもとても好きで、こういう雰囲気をこの箱庭で再現できたらなとなんとなく思ってる。